舞鶴在宅介護者の会便り
No. 7
コ ス モ ス
発行2001/5

平成13年度総会を終えて      由里 義雄

                        

去る4月8日、中央公民館に於いて役員さんをはじめ皆さんのご協力により盛会裡に終了する事ができ誠に有難とうございました。特に介護されている皆様には、出にくい中をご出席いただき感謝いたしております。なお当日は新たに6名の方々が入会されました。何れもいろいろな環境の中で精一杯介護されているご様子、然もとても明るくお話もでき大変嬉しく思っております。
然し折角お集まり頂く機会ですから「出席してよかった・・・」と思っていただけるような工夫もしなければならない・・と率直に反省もいたしております。皆様のご感想も時期をみて承りたいと存じております。
 今年は相互支援活動について精力的に実施していきたいと思っております。ご要望のあるときは、お近くの支援者にご連絡してください。また介護者の集い(次期7月頃)リフレッシュ旅行(秋頃)等も考えておりますのでぜひ参加していただきたいと存じます。



 
 みなさま、どうかご自分の健康に留意し頑張ってくださいますよう、また、ご相談ごと、或いは悩み事がありましたら是非ご連絡ください。

追記
インターネットに介護者の会のホームページを出しております。是非ご覧下さい。
ホームページのアドレスは次のとおりです。
URL:http://www.coming-net.com/home-care/

 《来賓挨拶》 
市 長寿社会推進課 千賀課長 
舞鶴在宅介護者の会の1年4ヶ月にわたる活動、集い、コスモスの発行等介護に関わる方自身による活動に、心から敬意を表します。
介護保険が始まって丁度1年になりますので、舞鶴市の報告をさせていただきます。


報告 
要介護認定ー2月末2125人
    サービス利用者(国保連のデーターより・H12年11月)

在宅サービス1249人
施設サービス446人
17%の方がサービスを受けておられない(住宅改修、福祉用具にサービスは含まない)

 第1号保険者  H13年1月現在 65歳以上20331人

  平均月35人ずつ増加している。
保険料 第1号の収納状況は約99%
サービス状況 支給限度額に対して34%

    市の介護保険の給付額(予算)22.1%の伸びで、38億円


市の介護保険については、概ね順調といえますが、保険が全てではなく、それを取り巻く色々な活動が大切であると考えます。介護者の会の取り組みがもっと大きな力になればと願っています。
全ての市民にとって、明るく豊かで生き生きした社会になるよう努力していきたいです。
益々のご発展と皆様のご健勝を祈念して挨拶とします


社協 牧会長
介護者の会は出来るか出来ないか分からないと言われていたのに、会員も50名以上になり敬意を表します。
オムツのアンケートをしておられますが、社協にも、結果を教えてください。
どうか、頑張ってください。


《電報》 
宇治老人介護者家族の会より
『総会のご盛会をお祝い申し上げますとともに、今後益々のご発展をお祈りいたします。』


《メッセージ》
すこやかの森の介護看護部長 I・八重子さん
舞鶴在宅介護者の会 活動2年目を迎えられおめでとうございます。
皆様が積極的に活動されている様子を、役員の方々や、会報「コスモス」で耳にする度に、お互いに支えあう介護者の輪が舞鶴の地に広がり根ざしてきている事を感じ、皆様の努力に敬服いたしております。
私は約2年前の発足準備の関わらせていただきましたが、現在は、支援メンバーとして名ばかりで何のお手伝いも出来ませず申し訳ございません。
育児は数年間の子育てで元気に育ってくれる事を励みに頑張れますが、介護は徐々に衰えていかれる人の果て知れない看取りであり、心身の疲労も大きいものがあります。
由里会長さんは、介護は忍耐と努力であり、愛情だけでは続かないと言われています。皆様も介護を継続されていかれるためにも会員相互の支え励まし合い、適度に息抜きリフレッシュされます事を念じています。
今後益々の会のご発展と皆様のご健康をお祈りいたしております。

《 介護体験発表(要旨)》  A・Yさん 
皆さんの殆どの方が老人介護をなさっておりますのと異なり、私は28歳の長男(重度、重複障害)を、28年介護いたしております。出産後3ヶ月になっても、泣いてばかり、あまりミルクを飲まない・・・・。7ヶ月経っても首が据わらない、寝返りもしない、ハイハイもしない、小児科の先生は、「未熟児だから遅れているのですよ」と言われました。私は異常があるのではと思いながらも、先生を信頼し続けて参りました。目が見えているのだろうか(未熟児網膜症)も心配になり、京大病院へも何回か足を運びました。そして保育器にいる時、酸素が多すぎると未熟児網膜症に、少なすぎると脳性麻痺のなると言う事を知りました。9ヶ月に入って突如、京大の先生から「脳は広い範囲でやられています。どこかで酸素不足になったのでしょう。一生首は据わらないと思います・・・。」と、淡々と言われました。私は今更と思いながらも保育器中の産婦人科医の責任もあるのでは・・・・と、そんなバカなこと、そして脳性マヒなんて・・・。私は愕然としました。主人と共に一言も語らず帰宅したのです。私の実家は姫路ですが、そちらに良い先生は無いだろうかと母を頼りに一ヶ月ほど姫路市内の病院めぐりもいたしましたが、どこに言っても同じ事を言われました。私は病院を、先生を、恨み、産後の対処について絶対に訴えたい・・・・・等愚かな気持ちさえありました。泣いてばかり、ミルクを飲まない、一晩中寝ずに抱いて明かす毎日が続き、一日ミルク200cc〜300ccより飲まず又離乳食も受け付けない状態ではどうしようもなく途方にくれました。


 一才になって整枝学園に通う事になりました。訓練の日々が続きますが知り合いも無く全く孤独な生活でした。そこで同学園で知り合った方よりこんな言葉を聞かされたのです。「障害の子供を持ってしまったことはどうしようもない。泣いて暮らしても一生、笑って暮らしても一生、同じ一生なら笑って明るく暮らしたいね。」・・・・・この言葉は私の心に強く響きました。「そうだ泣いていても何も始まらない、明るく笑って生きよう、胸をはって堂々と、凛々しく生きよう・・・・」と思い決心いたしました。今までのもやもやも晴れ、それからの私は前向きに生きる事に努めました。ですが、息子の入退院は数え切れないほどで、小学校過程を終えるまで生きられるだろうか・・・と、医師も心配されるほどでしたが小学高学年の頃には元気になり一時は私達が食べるものを細かくしたり柔らかくしたりして、食べる事ができました。然し、一度むせると全部嘔吐するまでコンコンと咳き込み本当に可愛そうです。むせないよう、熱が出ないよう、毎日が戦いです。
 脳性マヒで身体の全機能を失っております重度の障害の上、15才で気管切開、去年は胃ろう造設手術等、過酷な条件を次々と背負い、息子の生きていく人生はあまりにも残酷で、何のために生きているのだろうと思われるかもしれません。
 12才の時、与謝の海養護学校へ入学し3年間お世話になりました。週3日の授業(1日2時間程度)の日を、息子は唯一の楽しみにしておりました。先生のギター演奏、歌声は、元気の源を前進で受け止めようと楽しい表情でした。又音楽会に連れて行っていただいたり、舞鶴湾の船の旅、修学旅行、温泉ツアー、五老ヶ岳のスカイタワー等々、数え切れない思い出は息子の脳裏に深く深く刻まれ、それらのビデオを見せると満面の笑みを浮かべます。私は今まで頑張ってきて良かった!だってこんなに幸せなときを感じられるのですから・・・と。
 15才で中学を卒業しましたが、高等部には訪問学級は無く淋しい毎日を過ごしておりました。私は、高等部にも訪問学級の制度を作って欲しい希望を持ち遠く金沢へ出かけ、全国訪問教育親の会にも参加、文部省へ何回も陳情、又京都府への陳情・・・と、10年間に亘り精力的な行動を行いました。多くのご支援により、25才の時、高等部の訪問学級が認められ、1才年下の仲間と我が家で感動の入学式を迎える事ができました。NHK,KBS京都のテレビで放映され、全国から反響がありました。


 この夢のような入学式から早3年が経過し、今年3月卒業いたしました。今思うと、訪問で先生が来られると、息子の表情は一変するのです。何も言わないが、目、口、等で感情を表すのです。私も良かったね、良かったね・・・と一緒になって喜んでいました。
卒業後また元の生活に戻さないため、進路の先生、市の援護課の方等に色々とご心配頂きました。本人の意思表示は「共同作業所へ行きたい。そして仲間と会いたい。もう家に閉じこもりたくない。」というものでした。言葉の無い息子ですが、先生の熱心な指導により意思表示の仕方(まぶた、目、口によるサイン等)の力を引き出してくださいました。先生方の熱意と、愛情が教育の原点であり、生徒の潜在能力を引き出してくださったことについて心より感動いたしております。
 病弱な主人、私も体力の衰えを感じる今、社会的な援助なしでは暮らす事はできません。私が倒れたらどうするだろう・・・。安心して預かってもらえる施設はあるだろうか。この頃考えるところです。
 息子と共に28年間生きてきて、「さみしさは真実を見抜く力、かなしさは人のやさしさを知る力、くるしさは自分を強くする力」といろいろな力を得る事ができました。
これからも厳しい道である事には違いないが、今日を、今を、精一杯生きるしかないと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。


《 講演会 》    舞鶴赤十字訪問看護ステーション 吉川所長


私が看護婦になった頃には、在宅看護という言葉は未だありませんでした。平成4年に訪問看護という言葉が出来、以来今では看護婦の国家試験にも介護保険についての問題が出題されるようになりました。
看護婦の中でも訪問看護に興味を持つ人が増え、それだけ時代が変わってきたと言う事なのでしょう。                         
私も訪問看護をしていますが、患者さんが入院している時の顔と、退院されて伺った時の顔は全く違います。病人の顔から父、或いは母の顔になるのです。家で看るってすごい!家族の力ってすごい!を実感しています。そして、私はその訪問先に安心を届ける手伝いをしているのです。
介護者が一番不安で大変な時期は、在宅介護を始めて1ヶ月くらいです。私は、病人に必要なケアや処置を行うとともに家族に会ってその顔色を見て話をし、「手伝ってもらえたらもう少し頑張れるかしら・・・」という気持ちを応援しています。
家族が心身ともに元気でないといい介護は出来ません。心と体のバランスが崩れると辛い事もあります。何が何でもではなく、私が看れる範囲で看ていきましょう・・・というスタンスが良いと思います。
また私は、家庭を訪問する中で、在宅で閉じこもりがちな方に外の「風」を伝えていきたいと思っています。
外からの風により、知らない世界を覗いてみようかな、人と出会ってみようかなという新しい世界を広げていきたいと考えています。
どうか皆さん息抜きしながら、無理せずに続けていってほしいと思います。


 

お知らせ

デイサービスを受けている人は、併設して診療所、病院等がある場合は、同じ日に外来同様、医師の診察を受けておりました。

ところが4月よりデイサービス当日の診療は出来ない事になりました。
4月の役員会において協議検討の結果、下記のとおり舞鶴在宅介護者の会の名で要望書を提出いたしました。

=== 記 ===

舞鶴市長  江守光起様   平成13年4月27日
 
要望書
 
    舞鶴在宅介護者の会
   
会長 由里義雄

高齢者の在宅療養者で自宅で入浴の出来ない状態、或いはそのような環境の人たちについては、介護保険サービスとしてのデイサービスを利用いたしております。外出も思うように出来ず、在宅にて孤独な生活を過ごしております利用者は、デイサービスの日を待ちわび、楽しみにしており大変有難く存じております。
なお、併設されている診療所等がある場合は、足腰の治療を要したり、又内臓検診等受ける人は、従来は週一回通院する事が困難なため、デイサービスの機会に医療のお世話になっておりました。
ところが突然4月より、診療を受ける事が出来なくなりました。私たち介護者は、核家族化の中で、或いはへき地(市街地外)等の場合、通院させる事は容易で無く、大変な痛手をこうむっております。
つきましては、種々規制はあると思いますが従来どおり受診できますよう御配慮頂きたくご要望申し上げる次第でございます。

以上


《 新入会員さんご紹介 》 ・・どうぞよろしくね!


◆M・S子
 私はこの度、Tさんのご紹介でこの会に入会する事になりましたM・S子でございます。私は現在89歳の姑の介護をいたしておりますが、介護をしている世代とされている世代との間に考え方に格差があり、時には介護者に大きな負担を強いられるのが現実であります。未だ何もわからない未熟者の私ですので、皆様方のお知恵を拝借したいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。



◆T・T代
わたしは同居している83歳の母の世話をしています。母は現在膝の痛みがひどく、歩くのが
困難です。家の中では、何とか一歩一歩足を動かしている状態で、外出は車イスです。痛みがやわらげば気分も晴れ楽しく毎日が過ごせるのではと、いつも思っています。
この度皆様の輪の中に入れていただき、小さな悩みも経験された方のアドバイスで心がなごみ、創意工夫で母と接したいと思います。

◆E・N子
今回会長様のお誘いを受け入会させていただきました。ベターケアーの百人百色の介護等読ませていただき、私はこれでよかったのか、主人は7年間幸せではなかっただろうと自分を振り返り、皆様のお仲間に入れていただこうと思いました。聞いていただいて、その中で考え方を改め、明るく病人と付きあう。これしかないと分かっているのですが出来なくて困っています。支援センターの方々の細かいお心遣い、訪問入浴さん、ヘルパーさんたちの明るさに感謝しています。どうかよろしくお願いいたします。  


◆T・H子
私は主人(66才)が、くも膜下出血で倒れ自宅で介護しております。
介護歴は3年です。近日実母(今別居)も迎え同居の予定です。2ヶ月前より住居の改造(バリアフリー化)をいたしております。主人は箸を持って自分ひとりで食事が出来るので助かります。でも乳製品、豆類、油ものは駄目です。食事の時は、椅子か車椅子に座らせます。
実母を迎えるとどうなるのか・・・・と今から心配しております。二人のオムツ替え、食事の介添え等、大変だろうと思っていますが頑張ります。どうか皆様よろしくお願いいたします。


◆T・T子
私は別居の義兄(主人の兄)を丸3年介護したあと、今は、義姉(82才 脳梗塞の後遺症、パーキンソン病)を、介護しております。別居ですから、行ったり来たりで相当疲れますが、お蔭さまで62歳の私は、人様のお世話がさせて頂けることについて、幸せに思っております。何れ私も通る道だと思い精一杯頑張っております。これからは、皆さんに教えていただき、よりよい介護に努めたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。 


◆H・H夫 (著書「闘病記」から)
平成10年3月末奥様は、くも膜下出血で倒れられ、S病院へ入院、頭蓋骨を外す大手術の後、4月、7月、9月(2回)、平成11年1月、3月、と計7回の手術、平成11年11月不本意ながらの退院となり、そして今在宅でとてもすばらしい介護がなされています。7回もの手術に良く耐えられたものと驚きます。ご主人は、社会経験も豊富で、大変な几帳面さがうかがわれました。
どうかご健康に留意され、頑張っていただきたいと祈念する次第です。

 

編集後記
4月の総会は、皆さんが「久しぶりやね」「どうしてる・・・」と和やかに話されている姿を見て嬉しく思い、山本さんの発表で、涙でぐしょぐしょ、化粧はハゲハゲになり、吉川さんの話で元気付けられてと大忙しの一日でした。もう、皆さんに会いたくなっている私です。
「ホームページがうまく見れないのだけど・・」というお話を時々うかがいます。どうぞご遠慮なく事務局まで連絡してくださいね。直ぐに駆けつけますので・・・